日焼けがファッションだった時代に青春を謳歌した年代の悩み

日焼けがファッションだった時代に青春を謳歌した年代の悩み

日焼けがファッションだった時代に青春を謳歌した年代の悩み

 

現在50代半ばの私、いや私たちにとっての10代から20代にとって、日焼けはファッションの一部であり、夏の風物詩は日焼けのためのコパトーンにほてりをおさえるカーマインローションのふたつであったといっても過言ではありません。

 

もちろん25歳はお肌の曲がり角という言葉はしばしば耳にしていましたが、25歳前の自分にとってはそんな曲がり角は他人事であり、25歳はまだまだ遠い未来のお話でしかありませんでした。

 

25歳を過ぎた頃

 

そのお肌の曲がり角であるはずの25歳を迎えた頃の私は、ようやく長年のダイエットにも成功し、顔の表面にはこれといった遜色もなかったため、美容というものにそれほどの意識を持つわけでもなく、アメリカやフランスのスーパーやデパートで購入した廉価な口紅やアイシャドウなどを使っておしゃれな気分にひたっていました。そのころ、まじめにOLとして働いていた美容の意識の高い友人に勧められ、シュウウエムラのクレンジングオイルを大枚はたいて購入したのが唯一私の美容における投資でした。

 

そして30歳を迎えたころ、近くの薬局のカネボウコーナーで出向社員として働いていた小学校の同級生に呼び止められ、目のまわりの小じわを指摘されました。私は派遣の仕事をしていたため一応自分の身だしなみも気になっていたころだったので、その友人(美容部員)の脅し的な勧めに素直に従い、1万円ほどの目のまわりの小じわケアのオイルを即購入しました。美容に対する心構えがなっていなかった自分にとって、これはその流れを変えるとてもいい出来事だったのです。

 

しかし悪魔のささやきによってこのいい流れがまた元の流れに戻されてしまったのです。それは、ある友人の”今からこんな高い化粧品を使っていたら、本当に歳をとった時に使うものがなくなってしまうわよ”という、わけのわかるようなわからないような言葉だったのですが、それを聞いた時の私にはその理論がなんとなく腑に落ちてしまい、まだ3分の1ほどしか使っていなかったそのオイルの使用を一切さめてしまい、また元の手ぬるい美容法に戻してしまったのです。

 

35歳を過ぎてからの急降下

 

30歳で使うには早すぎるという化粧品の使用を止めたことが正しかったとして、それなら35歳になってから再度目の周りのしわ対策についてじっくり考えてもよさそうなものでしたが、私の30代は海外への引っ越し、仕事、結婚、帰国、おまけに離婚という、自分の顔どころではない生活を送っていました。

 

いや、それは単なる言い訳で、私自身が自分の顔に無頓着すぎたのです。おまけに40代からひどくなった近視のために自分のしわが見えていなかったのもいけませんでした。40代になると、身近な家族や友人に顔のしわを恐る恐る指摘されるようになり、さすがの私も何か対策を考えねばと焦りはじめました。

 

長年の積み重ね

 

肌の質は体質の遺伝である。というのが私の逃げ口上になっていますが、今思えばやはり紫外線対策とうるおいキープを怠け続けた痛手は大きいと思います。遺伝的肌質が乾燥肌なのに、化粧水しか塗っていなかった年月が長すぎました。時々出会う、”私はニベアを塗ってるだけよ”などという恵まれた肌質の知り合いの言葉を真に受け、やっぱり手抜きでも大丈夫なんだ、と楽な方向へ逃げたことも何度かあり、私の肌対策はなかなか軌道に乗りませんでした。

 

しかしようやく今年になってから、美容の勉強をして自宅でフェイシャルのお手入れをしてくれる知人に出会うことができ、ようやく私の肌に対する考えが落ち着いてきました。そして何より、月に一度、5000円くらいではありますが、お金を支払って顔の手入れをしてもらうという自覚が自分の美容への意識を高めてくれているように感じます。高いエステには抵抗がありましたが、一回いくらという料金体系でお手入れしてもらえるシステムはとても気に入っています。

 

あとは高価な化粧品ではなくても、じっくりとうるおいを与えてあげることで、持って生まれた乾燥肌を少しでもしっとりとしたものに変えてあげたいと念じながら手入れをしています。今さら過去の、日焼け対策を怠った自分を嘆いていてもしかたないので、これからは手を抜くことなく自分で自分の顔に責任を持っていこうと思っています。

 

シミはいざとなったらレーザー処理をしようと考えていたのですが、その知人曰く、カバー力のあるいいファンデーションで隠せばいいのよ、とのことなので、まずはしわのお手入れに力を注ぎます。